第1回 【川越唐桟】 3月22日(水)19:00〜21:00 ◆講師・・・井上 浩先生(川越唐桟愛好会顧問・さつま芋資料館館長) |
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※井上先生は川越市内に住まわれて、教師生活の傍らで「川越唐桟」についてを調査・研究されてきました。そのご苦労話を楽しそうにお聞かせいただきました。 川越唐桟は、残念なことに昭和初期に滅びてしまった文化と言えます。最も盛んだったのは、江戸末期から明治30年代、日露戦争の頃までだったそうです。侍が着物や袴をつけていた時代ではなくなり、軍人は軍服を、役人は背広を着る時代になったからです。需要が無いということから滅びてしまった「川越唐桟」ですが、出来る限りその文化を残したいという思いの人たちが、井上先生と共に愛好会として残してくださっています。 安土桃山時代(織田信長や豊臣秀吉の時代)にインドから伝わった「縦縞」ですが、その色の鮮やかさが着こなせない時代でもありました。赤という色は、当時の日本の男性には難しかったのかも知れません。 「川越唐桟」の基本は「藍染め」です。藍染めの藍は、金1gと同じくらい高級です。瓶の中の藍に糸の束を浸ける回数でその色の名前が変わります。1.瓶のぞき、2.水浅葱、3.浅葱、4.お納戸、5.紺、6.上紺・・・と呼んでいます。その微妙な色の違いの組み合わせと、他の草木染めを組み合わせて織ります。例えば「紅花」。これも藍と同じように高級ですが、貴重な赤として利用されますが、唐桟は男女の差が無く着られるので、男物、女物と分けることがありません。 ※井上先生が調査を始めた頃は、「知っている人」の存在が少ないために話が聞けない状態でした。それでは「川越唐桟」の実物を集めようと探し歩くことが続きます。ある日、川越の織物問屋から嫁いで来たという女性と出会い、前掛け(エプロン)」を譲り受けることができました。これを小さい端切れに切り分け、一枚ずつ貼り付けて「川越唐桟」の本を作られたのだそうです。全部で240しか完成できなかったのは、端切れの枚数限りだったからと、先生は残念そうでした。今から約20年ほど前のことです。
着物の柄としての「唐桟」ですが、男性用の背広の縦縞などにも生かされているのだというお話でした。 |
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